娘の美大受験記#7~受験対策に翻弄する高3の7月から9月~

娘の美大受験

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娘の美大受験記#6~すごい!多摩美のオープンキャンパス~
多摩美のオープンキャンパスへ。憧れが志望校になった日。タマテキは控えめに言って最高すぎた。

高校3年生の7月の夏休み前の連休初日に、多摩美のオーキャンに行き「タマテキ(多摩美テキスタイル専攻)に決まりやな!」と親子で納得し合った私たち。

教授からも何年生かと聞かれたので、多分多くの人は2年生のうちにオーキャンに行っているのだろう。
少しこの時点で遅れていることは感じていた。

家に帰った翌日は学校の三者面談だった。
先生は担任の先生と美術担当の副担任。
多摩美のオーキャンに行くことを娘が事前に先生に話していたので、
「どうでしたか?」と聞かれた。

「期待以上にすごく良かったので、第一志望はここで決定です」と伝えると

「かっこいい、憧れ、というのは十分出発点になる。自分の強みを見せて頑張って下さい。」とのこと。

さらに、「学校から一人受験したい子がいると言うと、大学側はすごく喜んでくれた。」とのこと。
そういう情報が流れるんだと思った。
毎年合格作品を持って高校に説明に来られているし、その芸術高校から来てくれるというのは足を運んだ甲斐があるということで、嬉しいのだなと思った。

「11月の総合型選抜を受けたい」と言うと、
「挑戦する価値はあると思う」と言われた。

「総合型選抜はすごく難しいので、落ちるものだと思って、2月まで引っ張ると思って、英語と国語もやるように」とのこと。

私たちは総合型選抜を本気で狙いに行こうと思っているのに、先生のテンションは低めでちょっと???と思った。

その謎は後日解けた。

娘によると、娘の学校から総合型選抜で合格した子が過去にほとんどいないということだった。
さらに、何が合格要因だったのかも先生たちには全然わからない、というのだ。

娘の高校は、美術科が出来て25年の歴史があるので、その言葉は重かった。
先生的には絶対無理と思っていたようで、ここからが重要なことなのだが、2月の一般入試対策を中心とした受験絵画をそれからは描いていくことになったのだった。

学校ではデッサン、画塾では色彩構成と分けて描いていたので、ずっとその後も一枚の紙に一枚の絵だけ描いていたのだ。

色彩構成

平面構成と呼ぶこともあり、さまざまな色彩組み合わせて、形とバランス取り合い空間的にひとつのまとまりのある画面作ることを目的とする、美術予備校デザイン科トレーニング課題。                                                                                                                                  引用:weblioより

そう、11月の総合型選抜入試では、一枚の紙の半分にデッサン、半分に色彩構成をするのだ。
用紙も半分になるので、時間も2月の入試の半分で一枚で5時間だ。

私は不安だった。
色彩構成が弱いからと一枚に時間かけて描くのはわかる。
まだ時間を計って描けるレベルには到達していない。
だけど、11月の入試では、同じモチーフを一枚の用紙の中で、デッサンと色彩構成と描きわけないといけない。
しかも、その構図、対比ももちろん評価の対象になる。

このまま、デッサンと色彩構成をバラバラに描いていて大丈夫だろうか。
いや、きっと受験日が近づくとその練習を学校なり画塾でやらせて貰えるに違いない。
そう信じる気持ちもありながらも、娘には「一枚の紙に描く練習をしなくても大丈夫なの?」と聞いていた。
いつも答えは「大丈夫」だった。

私がいくら待ってもその対策をする気配は全くなく、じりじりと日だけが過ぎて行き、気づけばもう10月も残りわずかになっていた。

 

余談だが、関西の美大入試の紙と関東の美大入試、紙質が違うらしい。
関東の方が少し紙が柔らかいのだ。
娘専用に学校が用紙を発注してくれ、それでデッサンは描いていた。

さらに、「講師の先生が、色を作る時間がないから、タッパーみたいなのに色を作って持って行った方が良いと言ってるねんけど」と娘が言う。
旦那に「私らの時って色作って持っていったりした?」などと私はまた余計なことを聞き、中途半端に娘に回答し、「タッパーに色を作って持って行く」ということはどこかへいってしまった。

本当に受験を甘く見ていたと思う。
本人が本当はすることなのでほっておいたら良いけれど、当の本人は、ふんわりしているのでそこで私が「タッパー買ってくるわ!何色分ぐらいいる?」というぐらいの行動力を見せないと、どうにかなるだろうと娘は考えてしまうのだ。自分でタッパーを買いに行ったりはしないのだ。

そう、美術科で油画やデッサンを中心に描いていたため、6月末に志望校を決めるまで色彩構成をあまりしたことがなく、色彩構成対策に相当疎かったのだ。
画塾もこうしなさいとは言わないのでそのままだった。

さらに、学校では9月から「3点目の作品」作りに時間を取られていた。

1点目は2年生の冬に賞を取った50号の油画。
全体的に青い絵で金魚が入るような袋が何個か描かれ、キャンバスのところどころに文字が書かかれているというちょっと病んだような作品だった。
構図が普通とは逆だと言われながらもそこが面白いと講評されていた。

2点目は3年生の夏休みに頑張って描いていた40号の油画。
そう、夏休みは普通の受験生なら受験対策の絵ばかり描いている。
今から考えると信じられないがその時期に、油画も描いていたのだ。
頑張った甲斐があり、9月中旬に無事に賞を貰えた。
真ん中に大きく自画像が描かれ、後ろには大量のプリクラが後ろ全面に貼り付けられ、その上から油絵でテクスチャがつけられている。
自画像は生クリームを頬にべったりと手で塗り付け、まっすぐにこちらを見つめている青い絵だった。
デッサン力がある、絵が描けている、プリクラを貼るなど大胆なところが面白いと講評されていた。

しかし、3点目が決まらない。
3点目の作品をデザインに寄せて、色彩構成を作ってそれを出すという娘。
受験対策で忙しい中、9月という大事な時期にそれにだいぶ時間を費やしていた。

実はこの時、もう1点作品があったのだ。
私は当初からそれを出すことを強く勧めたが、娘は頑なに拒否した。

それは、夏休み前に、入りたい学校の学部に向けて作品を作ろう、という高校の課題だった。
娘はタマテキが志望校になったので、「マフラーを作ろうと思うねん」と言い、100均で大量に毛糸を買って来たのだった。

毛糸が足りなくて買い足し、マフラーに付ける装飾も全て100均で購入。
リリアン方式でコツコツ編み出したそれに、日頃みたことがないような笑顔で「面白い!」と夢中になり、寝るのも忘れて編んでいき、たった数日で、

「見て!気が付いたらこんなに長くなっちゃった!!」と大爆笑。
それはそれは長い長いマフラーを嬉しそうに見せてくれた。

ずっと油絵など平面を中心にしていたので、立体作品や糸を使った作品が面白くてたまらなかったのだろう。
ピンクや紫のファンシーな色のマフラーに鈴やスパンコールなどが縫い付けられ、THE女子高生というような甘ったるくて、どぎつい作品が出来上がった。

このようにして時だけが進み、気づけば10月に入っていたのだが、危ういのは受験対策だけではなかったのだ。
夏休みの途中から友人関係のいざこざに巻き込まれ、テンションが下がりに下がり、今まで頑張っていた糸が切れたように、夏期講習にも遅れて参加することが目立つようになった。
さらに、休む日もあり、家での口数も減り、暗い顔やぼーっとしていることが多くなった。

そして、夏までに関西の主要美大のオーキャンにも行っていたが、

「関西で行きたい学校がない。絶対に併願受けないとダメかな?」と言われた。

浪人させられないから、受けた方が良いと思うけど、と言うと
やっぱり浪人ダメやんな、じゃあどこか受けなあかんな、と。

こんな状態で併願だけ受かり多摩美に落ちたら、この子は学校辞めるんちゃう?と旦那も私も相当心配した。

二転三転し、はじめは絶対にない!と言っていた旦那の母校、京都精華大学を受けることに決めた。
それは、多摩美に落ちても、絶対に家を出たいということで、家から一番遠い大学を選んだのだった。

そんな10月にある事件が起こる。