娘の美大受験記#3~中学生時代は美術部部長~

娘の美大受験

前回の話はこちらから↓

娘の美大受験記#2~コピックにはまりコンテストで2年連続金賞~
昔から絵を描くのが好きだったが、小学生でコピックに目覚めてからみるみる上達し、ぬり絵コンテストで2年連続金賞を受賞する。

中学校に上がると、美術部へ入部。
当然と言えば当然?
美術部では3年生で部長を務め、文化祭ではコマ撮り動画を部員と共同で作成していた。顔がついた丸い物体が校舎の階段をポンポンと転がっていって美術部の部室に行き変化していくというような動画で、なかなか面白かった。

動画作成はパワポを使って自宅で制作。こういう時、私には一切相談せずお父さんに相談。そう、絵のアドバイスとかそういう方面も全てお父さんだけに相談するのだ。

私には違うことは聞いてくるので、彼女の中で使い分けしているんだろう。
例えば、読書感想画コンクールの本。どんな本が良いかと聞かれるので、いつも数冊候補を挙げていた。

ちなみに読書感想画コンクールは2回応募して県内では賞をもらったが、全国ではみんながもらえる賞のみで、特段群を抜いていたわけでもなかった。描いた本は、2年生では吉本ばななの「TSUGUMI」、3年生では湯本香樹実の「夏の庭」。

3年生の体育祭の部活対抗リレーでは、ジュラシックパークのパロディのTシャツをデザインし、アイロンプリントで作って、イーゼルを持って走っていた。とにかく、何事も全力で楽しんでいた。

中学校では、美術部だからと体育祭、文化祭、修学旅行などの冊子の挿絵を頼まれるようになり活躍の場が増えたように思う。

ピアノももう6年生でやめていたけれど、中3の合唱コンクールで誰も弾ける人がいなくて頑張って練習して弾いていた。総じていい加減なところも多いけれど、やると決めたことに対しては全力で頑張っていたように思う。

高校は公立の美術科のある高校を目指していたので、学校の美術の先生、すなわち美術部の顧問に絵を見てもらうといいね、と娘と話していた。
高校受験は、美術予備校に行かなくても、学校の美術の先生に見てもらうだけでも十分だと思う。
その頃の先生は何人も美術科へ送り出していたので、すごく頼りにしていたのだが、中2の時に異動してしまった。

不安だったが、なんとか新しい先生に見てもらうことが出来、受験の2~3か月前には課題を出してもらってそのモチーフを書いては先生にみてもらう、を繰り返していた。

志望校のオープンキャンパスには2年と3年の両方で行った。
3年の夏には、併願校の私立の美術科の石膏デッサンを描くオープンキャンパスに参加。
初めて石膏を描いていたが、はじめての割には全体の形を掴むのは上手かったように思う。

ただ、はじめて描いた紙コップのデッサンの写真を最近みたが、びっくりするぐらい下手だった。
前回の中1の時の塗り絵のコップもデッサンが狂っていたし、やっぱりデッサンは数をこなしてなんぼだと思う。

勉強は得意ではなかったが、なんとか入れるぐらいの内申点もあり、倍率も1倍ちょうどぐらいだったため、取りあえず県内の公立高校の美術科に無事合格出来た。デザイン科の方が倍率が高かったが、年によって毎年変わるのでラッキーだった。

初めから美術科に決めていたわけではない。
その高校にはデザイン科と美術科があり、どちらにするか本人は迷っており、相談されたので、
美術科が良いんじゃないかと話した。
デザインはテクニックで学んでいけるところがあると思うけど、はじめは油絵とか絵画をした方が良いんじゃないかと伝えた。

娘の作風を見ていて、レタリングをしたり、色彩構成をするよりも、ファインアートをした方が面白いし伸びそうだと思ったのだ。
高校の説明会では、デザイン科も美術科もやることはあまり変わらないので、そんなにこだわる必要はないと言われた。2年生から、日本画、油画、版画、彫刻、デザインへと専攻が分かれるのだが、どちらの科からも、どの専攻へもいけるからだ。

この美術科の選択は、後々娘から正解だったと言われることになる。
美術科の方が「絵」を描ける子が圧倒的に多く、レベルが高かったので切磋琢磨しやすかったのだ。

晴れて合格したわけだが、合格発表の日の夕方のニュースは忘れられない。コロナによる緊急事態宣言が発令され、「明日から学校は休み」と総理大臣が発表したのだ。

娘は、美術科という特殊な入試だったため、一般入試より早い2月の入試だったのだ。
娘は合格直後だったこともあり、「わーいわーい!!休みだ~!」と喜んでいたが、大半の子はまだ受験が終わっていない中で学校がなくなり、不安で本当にかわいそうだったと思う。

また、合格発表の前の週末は、読書感想画コンクールの県内表彰式。みんなマスク姿で参加しており、一週間後だったら開催も無理だったなとギリギリ開催出来たことに胸をなでおろした。

そんな中、娘が1年間通っていた勉強の塾に合格のお礼と辞める挨拶に伺った。
先生が一人でやっているこじんまりとした塾だ。
すると先生がひとこと。

「〇〇ちゃん、大学は美大行くなら多摩美か武蔵美やで!!」と言ったのだ。

またまた先生、ご冗談を。と心の中で思っていた私。
先生は、昔美術が得意で美大受験を迷っていたとのことで、わりと美大に詳しいらしい。

娘が帰り道に「お母さん、多摩美、武蔵美って何?!」と聞いてきた。

「東京にある美術系の私立大学で、普通で言ったら、早稲田、慶応ぐらい難しい大学。
それに学費もすごく高いから、金沢美大や京都市立芸大を目指そう。金沢は美味しいものが沢山あるらしいよ~!」

その日ははじめて娘が「多摩美を知った」日になった。