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子どもの頃から絵を描くのが好きで、絵を習いたいとよく言われたけれど、旦那が絵は習うものじゃないという考え方で、絵画教室には入れなかった。ピアノは4歳からヤマハへ通っていた。
市の広報誌に掲載されていた、数か月間限定の絵画教室に小学校1年生か2年生の頃に一度通ったことがある。与えられたモチーフを水彩絵の具で描いていた。それが思っていた絵を習うことへの憧れを満たしたのか、それほど面白くなかったのかそれ以来、絵を習いたいと言われることもなかった。
旦那の「絵は習うものじゃない」というのは、なんとなく理解できる。受験対策のようにテクニックを学ぶなら習う必要はあるが、好きな絵を自由に描くのに習う必要はないのだ。
それでも、出すと7~8割ぐらいの確立で入賞していたように思う。
全国規模の大きなコンクールには出していないので、全部入選しやすかったとは思う。そして、それらの絵は大人目線で見ても、ちっとも上手じゃなかったし、テクニックもなかったけれど、のびやかさや色の綺麗さ、迷いのなさ、楽しんで描いているのが伝わる絵だった。 そう、等身大の子どもらしい絵。子どもにしか描けない絵だった。
旦那は一浪で芸大卒、私は芸術短大卒で知り合ったのは美術予備校という夫婦。リビングには旦那が描いた絵が飾られており、普通だと思っているその部屋は、家庭訪問に来た担任の先生には「すごく個性的なおうちですね」と言われた。何が個性的なのか良くわからなかったけれど、うちはちょっと変わっているらしい。旦那も自営業でバイクのカスタム塗装をしているので、普通のサラリーマン家庭とはやはり違うのだろう。
この頃の娘の関心事は、ファッションと絵と漫画、そしてラブライブ。特に小4から進撃の巨人にはまり、小6ぐらいでおそ松さんに大はまりしていた。漫画雑誌ちゃおの漫画家さんのサイン会に行ったのは小3で、その頃の夢は漫画家だった。
小学校4年生ぐらいになるとコピック(コピックスケッチ)というペンをほしがるようになった。一本400円ぐらいするプロのデザイナーも使っているペンだ。コピックにはコピックチャオという少し安いラインもあるが、娘は頑としてコピックスケッチしかいらないとはじめから譲らなかった。小学生にそんな高価なペンと思ったけれど、画材として本当に秀逸でこれは買ってあげて本当よかったと思う。
コピックについて
コピックはTooグループで開発したアルコールマーカーの名称であり、用紙類やエアブラシなどの製品を含むブランド名です。
コピックのマーカーは358色ものラインナップを持ち、インクや本体の品質の高さや繰り返し長く使用できる点などが評価され、
デザインの作画、イラストレーション、漫画の着彩、クラフトなど様々な分野で活用されています。
1987年から発売を開始し、現在は世界70カ国以上で販売しています。コピック公式サイトより
今は462円に値上がりしたらしいが、当時380円ぐらいだった記憶がある。誕生日におばあちゃんにセットで買ってもらったり、クリスマスプレゼントにもらったりとコツコツと数年かけて集めていた。
コピックスケッチは358色もあるのだ。なんせ肌色だけでもすごい種類がある。はじめはどの色を買って良いのかわからず手探りだったけど、だんだんと使う色と使わない色がはっきりしてきて、中学生になるとコピックのインクを近所の文房具屋によく買いに行ったのも懐かしい。
その文房具屋でぬり絵コンテストがあった。そこで金賞をいただいたことがあった。小6の時だ。この時のぬり絵は、親でもちょっとびっくりするぐらいの出来栄えで、完成を見た時は娘の作品に初めて驚いた。
驚いたのはそれだけではなく、なんと翌年も金賞をいただいたのだ。2年連続同じ人が金賞って、思わずお店の人に大丈夫だったんですか?と聞くと、満場一致での金賞だったとのこと。
このコンテストは金賞が1名5000円の商品券がもらえる、というのでそれ欲しさに娘は出したのだった。大人も子どもも応募できたため、上手な人も沢山いた。でも娘の絵は確かに世界観がハッキリしていて、ぬり絵を超えた楽しさがある絵だった。もちろん、こつこつ集めたコピックを使って描かれていた。
今から思い返すと、小6の夏休みに娘と二人でバルセロナ旅行をし、アートを堪能していたので、その影響が少しでもあると母は嬉しいなと思う。私自身は美術鑑賞が好きなので、普段から美術館などに娘を連れ回していたのだ。
相変わらず小学校では、やんちゃで自由人。ある時先生に懇談で言われた。「教科書の落書きは消しなさいと言ったんです。でも、パラパラ漫画が良くみるとすごく上手に描けていたので、もうそれだけは消さなくても良いわ、と言ったんです」という笑い話もあった。
宿題は嫌い、そろばんも合わない、でも運動神経は良くてすぐに逆上がりが出来たり、スイミングも毎月進級し、1年1か月で3泳法をマスターした。
そんな娘も小1の時、私が3人目の妊娠時には、円形脱毛症になったり、出産直前にはなんと帯状疱疹まで出来たのだ。私一人で里帰り出産を宣言していたので、色んな不安な感情をため込んでいたのかもしれない。弱音を吐かない分、案外繊細なところもあると、このことがきっかけで気づかされた。
そして娘が小学生の時から、「大好きな美術の時間が多い高校があるよ」と県内の美術科のある高校の名前を何度も言っていた。私は普通科の高校に進学したのだが、妹がその高校の美術科に進学していたのだ。そして高3になるとほとんど美術の授業だったので、だいぶ羨ましく思っていたのだ。
勉強も好きじゃないし、得意で好きなのは美術。なのできっとこの高校は娘に合いそうだなと思っていたのだ。
ちなみに、美大受験の志望動機に「子どもの頃から絵を描くのが好きで・・・」と娘は書いていたけれど、これはご法度なので全部修正をかけた。
だって、美大受験する人のほとんどは、絵を描くのが好きだったり得意だったりするから受験するわけで、当たり前の話だからだ。